1年以上前に書いていたお気持ち長文が出てきて、でも私って結局ずっとこれだなと思ったのでまた公開することにした。今読み返すとあまりに拗らせすぎてて結構ヤバいからちょっとだけ修正した。まあ言ってること今とあんまり変わらんけど


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好きという概念、ちょっと考え始めると怖くなってきませんか?好きとか嫌いとかって、なんなんだろう。でも好きになろうと思っても好きになれないこともあるし、逆も然りだし


でもどんなに好きでも大したことない一言で人のこと嫌いになっちゃってSNS全部ブロックとかしちゃうし、同性に対しても私だけが一方的に好きなんだなと気づいた時に無性に虚しくなるあれはなんなんだろう。仲良いとおもってるけど、自分の中でのその人への「友達」の枠と、相手にとっての「友達」が別枠なんだなと気づいたら悲しくて、上手く笑えなくなる。


でもそれって結局自分がわがままなだけで、自分と相手の好きのレベルが一緒じゃなきゃ関係を続けていけないって、かなり哀れなことだなと思ったりもする。でもやっぱり人間関係を続けていく上で悲しいなと思うことは、どんなに大人になろうとも変わらないことなんだな。


そもそも私の大学やめたのって大学にあまりに友達がいなくて、最初こそ気張って頑張ってたけどある日お弁当を一人で食べながら悲しくなってきて、後期の教科書を買った翌日にやめることを決めたクソ理由なんですけど。

「いや私一人でも全然生きていけるんですよ〜」「友達とかに頼らなくても一人で頑張れるんで〜」みたいにカッコつけてた自分の方が100倍ダサいし、今あの頃のこと考えてもキショすぎて自分のことどんどん嫌いになる。

というか思えばスーパーのバイトやめたのも、ホテルのバイト途中でやめて帰ってきたのも、全部周りに頼れる人がいない辛いって逃げ出してきただけだし、結局こういう生き方って一生変わらなくて、私はこのまま永遠に嫌なことから逃げ続ける人生なんだろうな、とこの20年間を振り返って実感する。

高校へ通わなくなったのも、あの時どうにか頑張って学校に行って言葉を交わしてお互いの誤解を解いたりすればどうにかなったかもしれないのに、向き合わずに逃げたのは全部自分なんだよ。


結局なにが言いたいのか分からなくなってきたな。まあとにかく愛は難しいし関係を築くことは辛くて大変だしできることならやめたいはずなのに、いつでも求めてるのは私でしかないなって気づいた。しかもそれがダサいしキショいし人生最悪じゃん。早く人間やめたい


絶対馴染めるはずがないと思っていたバイト先で意外とちゃんと生きていけている自分に気がついて驚いたし、ツイートが暗すぎることを暗にほのめかされているので裏垢と揶揄されないようにわざわざブログに長文感情書くとこもキモいな。

最近tiktokばっかり見ていて、あそこで楽しそうにしているたちは全員良い意味で自分のことが好きで、きっと認めてくれたり肯定してくれる人たちがたくさんいるんだろうなと思ったら悔しさと自分への慈悲の心が湧いた。

わたしって自分のどこのことだったら肯定できるんだろう。あー早く全肯定してくれる人間現れないかな。おやすみなさい